アラフィフ まあみんの日常

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家事は自分がやらなくても母親がやってくれると思ってるよね?

いつものことなんだけど
長女は
ご飯の準備がすっかり終わって
いざ食べようとすると
ひょっこり現れて食べ始める。


あるいは、
ご飯食べるよ~って
呼んでも来てくれなくて
みんなが食べ終わって
用意した長女の分を片付けた後に
やって来る。


それ、
いい加減にやめてくれないかな?



昨日は
準備して食べようとしたら
ひょっこり現れるパターンで
 

さすがに
昨日は多少空気を読んだのか
食器を洗い始めたのはいいけれど
全部は洗わない。


めちゃめちゃ腹立つわ。



洗い物が残っていると
ホントにガッカリするわ。


途中まで洗ってくれて
それでもいい方だけれど、
やるなら最後までやってくれよ。

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心の中で思うだけで
黙って残りを洗えばよかったけれど、


「全部洗った?」って聞いてみた。
「洗ってない」と長女。


あとは無言で私が残りを洗います。



そんなモヤモヤした気持ちでいたら
いつも読んでいるブロガーさんの
「家事は誰の役割か」という意識が大事だと
書かれた記事を読みました。

www.kakkoii-kosodate.info


家事を「みんなの役割」と認識すること、
させること、
みんなを巻き込んで関わっていくこと、
簡単そうでなかなか難しい。


我が家は
母親がやって当たり前って
思ってるもんね…


育った環境の中で認識してしまっている
「家事は誰の役割か」


それを変えていくのは
環境が変わって
外に出てみた時に
他人の行動を知ったり
教えられたり
頼まれたり
そこで
自分が感じて認識することが必要だと思う。



実家の同じ環境で
あれこれ家族を巻き込んで家事をしようと
いろいろ工夫してみても
なかなか続かない。


自分のことを考えてみても
実家での家事は母親がして当たり前って
昔は思っていたもんなぁ。


これが自分で生活するようになって
やっと初めて
家事の大変さを知ったり、
やってこなかった自分を反省したり。


親に言われても
認識は変わりそうにない。



意識が変わっていくのは
環境の変化と
自分と違う他人の行動を見たり、
人との関わりの中で
必要性を感じるからなのかもしれない。


母親がやってくれるだろうの認識の娘たちと
そして私も
気になるからついやってしまう。
この繰り返しの我が家では
「家事はみんなの役割」との認識は
生まれづらいなぁ。


いろいろと考えてみたけれど、
自分のことくらい自分でやるのは当たり前。


自分の部屋の掃除も
自分の洗濯も
食事だって自分が食べるんだから
準備も片付けも


放っておいて家がごちゃごちゃになるか、
それが我慢できるか、
面倒だから私がやっちゃうか、


いつまで続く?
この状況は変わりそうにない。



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